2015国際交流WS(日本) 虎ノ門・大丸有

虎ノ門・大丸有の概要 

  • 虎ノ門地区は、オフィスや大使館、文化施設、5つ星ホテル、住宅などが集積した一帯 で、外資系企業が多数拠点を構えている。高低差のある地形を有し、江戸時代には武家の 屋敷街でもあった。戦後になると官庁街に隣接したビジネス街として発展した。しかし、 これまでは不整形な街区や細い路地が、一街区に中小ビルが多く建ち並んだ状態であり、 業務に対応した大型ビルが不足していたが、近年になり大規模な複合開発が次々に竣工 し、業務・居住機能が拡充された。
  • 2014年には環状二号線を含めた虎ノ門ヒルズの開発が竣工した。今後、羽田空港や臨海部から都心へと向かう新たな都市軸が形成され、それに連動するように周辺では日比谷線新駅の整備をはじめ複数の大型再開発が計画されている。
  • 大手町・丸の内・有楽町(大丸有)は、東京駅周辺に拡がり、皇居の東側に位置する約120haに及ぶ南北に細長い地域である。地区内建物数109 棟(解体・建設中を含む)、就業人口は約23 万人のエリアで、国内外の企業が本社を構えおり、日本の経済活動の中心的役割を果たしている。多くの就業者数を抱える一方で、居住者はごく僅かであり、昼夜の人口の差が非常に大きい。
  • 大丸有地区は高度経済成長を支え、東京、そして日本全体の経済活動の中枢を担ってきた。しかし、近年は国際競争が激化し、世界における東京の地位は低下している。東京をリードしていく立場として、都心であるこの大丸有地区の再生が必要となっている。

視察場所 

  • 虎の門地区:六本木ヒルズ・虎の門ヒルズ・環状二号線 
  • 大丸有地区:丸の内永楽ビルディング・丸の内仲通り・行幸通り・明治生命館・丸の内   パークビルディング・三菱一号館美術館・JPタワー・東京駅地下・3×3ラボ

虎ノ門ヒルズと環状2号線

  • 虎ノ門ヒルズは、地上52階建て、高さ247mの超高層複合タワー「虎ノ門ヒルズ」は、日本初進出となる革新的ホテル「アンダーズ 東京」、ハイクラスのオフィスや住宅、国際水準なカンファレンス施設、店舗、広場と緑を創出するオープンスペース等で構成されている。
  • 虎ノ門ヒルズは、道路上空に建築物を建てる画期的な手法「立体道路制度」を活用し、道路と建物を一体整備している点に大きな特徴がある。
  • 環状二号線は、1946年に都市計画決定されたが、都心と湾岸部を結ぶ約全長14kmのうち、中小ビルが密集した新橋・虎ノ門地間1.35kmの整備は難航した。商業地としての価値が高く、地元に留りたいという地権者が多く、要望への対応が難しかったためである。計画決定から40年以上が経過した1989年に立体道路制度が創設されたことにより、道路上に再開発ビルを建設して権利者を受け入れることができるようになり、計画区域内の地権者に再開発事業に参加するという選択肢が生まれ、合意形成を後押しした。従前の権利者約460名のうち、約110名が再開発ビルに入居した。
  • 事業的にも施行者である東京都の用地買収に係る財政の負担減も可能となり、都市計画決定から68年を経た2014年に事業が実現される大きな原動力となった。

東京シャンゼリゼプロジェクト

  • 東京都は2014年3月に「東京シャンゼリゼプロジェクト」を立ち上げた。このプロジェクトではあらかじめ対象となる道路の条件や、手続きを定めるとともに、警察や行政、商店街や町内会などの関係者を一堂に集め、検討・調整を行う『道路空間活用検討委員会』を設置し、ワンストップサービスを実施している。加えて、技術的な検討や合意形成を行い、実際に道路空間のオープンカフェや管理などを運営するまちづくり団体(エリアマネジメント組織)の設立を東京都が支援している。 
  • 地域住民や地元区等で構成される『新虎通りエリアマネジメント協議会』が設立され、当協議会の承認を得て歩道に3店舗設置されている。

仲通り

  • 丸の内・有楽町地区を南北に貫く通りであり、日比谷通りに並行している。1964年時点では業務機能のみで殺風景であったが、通り過ぎるだけの「動線」ではなく居心地の良い「空間」、丸の内・有楽町地区における賑わいの軸として再整備された

 

  • 全幅21mのうち、車道幅員を9mから7mに狭める一方で、歩行空間を7mに拡大し、歩車道で一体的な舗装が施されている。丸の内仲通りは公道と民地により形成されているが、街路と建物低層部の商業店舗が一体となった景観を生み出している。

行幸通り

  • 行幸通りは、東京駅から皇居まで伸びる全長約200m、幅約74m の通りのことを指し、2010 年には、中央に歩道兼馬車道として新たに広場状の空間が整備された。行幸通りは1910 年に初めて整備されたが、当時は、日比谷通りまでしか整備されていなかった。現在の長さになったのは、1926 年であり、関東大震災(1923 年)の震災復興事業の一環として皇居から東京駅へ通じる通りとして整備された。
  • 「まちづくりガイドライン」の中では、行幸通りに面するエリアは、当地区を最も象徴づけるエリアであり、東京駅と皇居を結ぶ空間として、一体的に調和した都市空間を創出するために建物の連続性を重視した建築物とすることが明記され、景観整備が積極的に進められている。

 

歴史的街並みの継承

  • 大丸有地区の街並みを形成する主要な通りでは、日本の歴史的な単位である百尺(31m)で、建物の低層部と高層部を分けることを基本とすることで、連続した表情線を生み、スカイラインを統一している。これらの手法を用いることで、歴史的な街並みを継承したまちづくりが行われている。

明治生命館

  • 明治生命館は、日本の生命保険会社である明治生命の社屋として1934年に竣工したビルである。昭和の建造物として初めて重要文化財の指定を受け、2001年からは改修工事が行われ、隣接地に30階建ての明治安田生命ビルを建設して一体的に利用することで、歴史的建造物を活用しながらの全面保存が実現した。現在も明治安田生命保険の本社屋として現役利用されている。